太宰治著『地球図』の中で、「ヨワン・バッティスタ・シロオテ」と呼ばれるのは、宝永5年(1708年)に屋久島に渡来したイタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティのことである。彼は江戸の切支丹屋敷に収容され、そこで獄死した。
『地球図』は、この史実に基づいて創作された小説である。日本にキリスト教を布教するという目的からすると、シドッティは不発であった。しかし、それから約200年後の日本の小説家の心に訴える何かを残したのだろう。
太宰治は後年、『苦悩の年鑑』の中でこう述べている。
“私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。”
彼がシロオテの中に見たものは、自分の信じた何かのために一生を棒に振るという、一銭の得にもならない純粋な行為ではないだろうか。
抜け目のない小賢しい人物というのは、小説の主人公としては魅力がない。
周到に日本の言葉を学び、刀をさして、さかやきを作って日本人に成り切ったのに、一発で変装を見破られ、信仰を捨てれば長生きできたかもしれないのに、最後まで捨てなかった。この間抜けで頑固な生き様こそが芸術になるのだ。