太宰治著『HUMAN LOST』には、つぎのような一節がある。
「眼のさめて在る限り、枕頭の商法の教科書を百人一首を読むような、あんなふしをつけて大声で読みわめきつづけている一受験狂に、勉強やめよ、試験全廃だ、と教えてやったら、一瞬ぱっと愁眉をひらいた。」
当時は、百人一首のようなふしをつけて読む暗記方法があったのだろうか?
『HUMAN LOST』は、実際に太宰治が精神病院に入院させられた時の体験をもとに書かれている。入院患者の一人に「受験狂」がいたということである。
この哀しい姿を想像してほしい。彼は一瞬正気に戻っただけである。また商法の暗記に戻ってしまったのだろう。
「試験全廃」は嘘であっても、司法試験など受からなくてもじゅうぶん立派に生きていける。それでも彼は勉強をやめたがらないのである。やめてしまったら、試験に受からなくては人生の負け組だと教えられて頑張ってきた今までの自分を否定することになってしまう。
我々の時代も、学歴不問の入社試験が流行ったりしたのだが、学生たちの間では、むしろ頑張って偏差値の高い大学に入ったのだから正当に評価してほしいという声が多数上がった。いまさらハシゴを外されたと思う若い人が多かったのである。
別の例で言えば、特攻隊の生き残りもそうだし、昭和の働き方をやめられなかったサラリーマンもそうかもしれない。突然のゲームチェンジに適応できない人は発狂するしかないのだろうか。