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「殺されたがって、うずうずしていやがる。」

太宰治著『駈込み訴え』は、聖書を出典として、キリストを裏切った弟子ユダに語らせるという手法をとっている。
「殺されたがって、うずうずしていやがる。」とは、物議をかもしそうな表現であるが、聖書を読むと、確かにキリストは十字架に向かって自ら進んでいるように受け取れる記述がある。
マタイによる福音書26章56節には、「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」とある。
また、マルコによる福音書14章49節には、「これは聖書の言葉が実現するためである。」と書いてある。
ここには、自分こそが救世主であるという強烈な自負に突き動かされて一生を駆け抜けたイエスの姿が感じられる。
ユダに対しても、わざわざパン切れを与えて誰が裏切るのか名指しして、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言って実行を促している。(ヨハネによる福音書13章)
こんなふうに言われた側は、どう思うだろうか? バカだバカだと言われたからぐれてやる、みたいな気持ちだろうか?
しかし、それでもユダには裏切りを実行に移さない自由はあったはずである。それなのに何かに憑かれたように言われた通りの結末に向かってしまったのは、自分も自分の弟子も催眠にかけてしまうような不思議な力がイエス・キリストにはあったことの証のような気がする。