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羽左衛門と梅幸

太宰治著『フォスフォレッセンス』には、“羽左衛門と梅幸の襲名披露”という言葉が出て来る。こういうところは読み飛ばしてしまいがちなので、この際、調べてみた。
16代目市村羽左衛門も7代目尾上梅幸も昭和22年2月に襲名しており、『フォスフォレッセンス』の発表が昭和22年6月なので、事実関係は符合している。
作中では、「そのひと」は叔父さんが“こんどの羽左衛門は、前の羽左衛門よりも、もっと男振りがよくって、すっきりして、可愛くって、そうして、声がよくって、芸もまるで前の羽左衛門とは較べものにならないくらいうまい”と言っていると言うのに対して、「僕」は“前の羽左衛門が大好きでね、あのひとが死んで、もう、歌舞伎を見る気もしなくなった程”だと言っている。
一説によると、前の羽左衛門つまり15代目の実の父親はアメリカ人だという。この説は当時から囁かれていたことなのだろうか?
この小説には、「ジイプ」、「招魂祭」、「墓場の無い人」と、進駐軍や戦没者、未帰還兵を示唆する言葉がちりばめられている。
当時、太宰治は山崎富栄と深い仲になっており、彼女の夫、奥名修一は未帰還兵であり、フィリピンで戦死したことがほぼ確定していた。
『フォスフォレッセンス』には、富栄との関係に対して、作品を通しての弁解または贖罪も感じられるし、進駐軍がやって来た途端に寝返る日本人に対する諦めも感じられる。