太宰治著『春の枯葉』で若い教師、奥田義雄はこう言う。「大理想も大思潮も、タカが知れてる。そんな時代になったんですよ。」
これは勿論、敗戦を経て価値観が一変した時代において若い人たちの間に拡がった空気なのだろう。「欲しがりません勝つまでは」を愚直に受け止めれば、勝ってないのだから欲しがってはならないことになるが、そんな標語も嘘でした、ということになれば何のためにこんな我慢をしてきたのだろうということになる。
しかし、この「大理想も大思潮も、タカが知れてる」という感覚は、現代にも通ずるものがある。
敗戦直後は価値観の空洞があった日本も、その後の高度経済成長やそれに対抗する社会主義運動というモーレツな時代には、それぞれがそれぞれの陣営で彼らの思う理想のために闘った。その後、ベルリンの壁崩壊、バブル経済崩壊、ソ連崩壊が立て続けに起こり、資本主義も社会主義もタカが知れている。そんな時代になったような気がする。
そもそも、資本主義も社会主義もタカが経済の話である。そんな幻想にしがみついて夢を見ることでしか、人間は生きる意味を見出せないのだろうか? 戦時中の様々な大義名分も、戦争が終わってみれば白々しい感じがするのは当然である。戦前も戦後も、そういう夢に飛びついては幻滅することの繰り返しである。
今までの価値観が崩壊した時代は、そういう幻想から解放された自由な時代である。実は、とても静寂でニュートラルで貴重な時間なのではないだろうか。
